「死にたい」について
死にたいなんて大袈裟だよねー。
死にたいなんてさ、普通に生きてりゃ思うことないんじゃないかな?
雨の中足引きずりながら帰って。心因性と低気圧と生理で頭痛と腹痛が止まらなくて。私が悪いくせに人に迷惑かけてさ。絶対あの人の方がつらいっていうのに。僕は。
誰か見てた人いるかな?私のメンタルバグった時のインスタのストーリー。気持ち悪かったよね、私も思った。
でもさ、明日を生きなくていいって思った時はほんとうに清々しかったよ。毎日をこんな風に生きられたら、って、正直思った。でももうすぐ死のうとしてたんだけどね。
ずっと死にたかったんだ。ずっと。
本当はね、生きていたかったんだ。幸せに生きていたかったんだけど、あまりにも視点が歪みすぎたし、この世界は私にとってあまりにも広すぎる。
君はどう思うのか知らないけど。私は生きることが苦痛だよ。
楽しい時でも「死にたい」が息を潜めて忍んでいて。少しでも隙を見せれば直ぐに僕を取り込んで「死にたい」一色にしてしまうんだ。
そうなったらもう何も見えない。好きな人の言葉も香りも、僕の心のATフィールドの前じゃ無力だ。
眠れない。そんな時だってある、いや、そんな時しかないんだ。目を閉じれば瞼の裏側には「死にたい」が潜んでいて。目を開ければ部屋一面に「死にたい」が広がってる。洗濯物干しだって首吊り台だ。
私はずっと「死にたい」んだ。僕はどう生きる?
そして、君たちはどう生きてるんだろう。僕には到底理解できないかもしれないね。